ろうあ者とは?ろう者との違いや使われなくなった歴史的理由を徹底解説
公の場やニュース報道で「ろうあ者」という言葉を見聞きする機会が減り、代わりに「ろう者」や「聴覚障害者」という表現が一般的になりました。街中や行政機関、教育現場では手話言語への理解が深まる一方で、かつて広く使われていた「ろうあ者」という表現にどのような背景があり、なぜ使い分けが求められているのかを正確に把握している人は多くありません。
日本国内における聴覚障害を取り巻く環境は、2025年11月に開催された「東京2025デフリンピック」の大きな社会的波及を経て、2026年現在、手話言語条例の普及や共生社会の法整備とともに劇的な転換期を迎えています。医学的な障害の枠組みにとどまらず、固有の言語と文化を持つ「ろう者」のアイデンティティや歴史的経緯を踏まえ、言葉の正確な定義とコミュニケーションの実態を詳しく解き明かします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「ろうあ者(聾唖者)」は医学的に聞こえず話せない状態を指す語だが、「唖(話せない)」という固定観念や歴史的経緯から、現在は手話を用いる「ろう者」が主流の呼称となっている。
- 要点2:1997年の「ろう文化宣言」以降、ろう者は「障害者」という枠組みを超えて「日本手話という独自の言語を話す言語的少数者」としてのアイデンティティを確立している。
- 要点3:2026年現在、全国の自治体で手話言語条例の制定が加速し、行政・ビジネスの現場では医学モデルから社会モデル・文化モデルへのパラダイムシフトが定着しつつある。
【言葉の定義】ろうあ者とはどんな人?ろう者や聴覚障害者との決定的な違い
日常会話やメディアで混同されがちな「ろうあ者」「ろう者」「聴覚障害者」「難聴者」。これらは単なる言い換えではなく、医学的診断、使用する言語、そして個人のアイデンティティによって明確に区別されます。
まず「ろうあ者」という言葉の意味を分解すると、耳が聞こえないことを意味する「聾(ろう)」と、口で話せないことを意味する「唖(あ)」が組み合わさった言葉です。英語の「deaf-mute(聾唖者)」に相当し、かつては「耳が聞こえないために音声言語を話すことができない人」を指す医学的・慣用的な総称として定着していました。
これに対し、行政や法制度上の枠組みとなるのが「聴覚障害者」の定義です。身体障害者福祉法に基づき、聴力レベルや語音明瞭度に応じて身体障害者手帳(2級〜6級)が交付される人々を指します。ここには手話を第一言語とする人だけでなく、補聴器を使って音声で会話する人や高齢に伴う難聴者まで、医学的に聴覚機能に障害があるすべての人が包括されます。
一方で、現代において当事者が自らの誇りを持って用いるのが「ろう者」という呼称です。ろう者は、音声言語を習得する前(乳幼児期など)に失聴し、手話を第一言語(母語)として育った人々を指します。重要なのは、彼らが自らを「耳の病気を持つ人」ではなく、「手話という固有の言語体系を持つ文化集団」と捉えている点です。
さらに、途中で聴力を失った「中途失聴者」や、聞こえづらさはあるものの補聴器などを活用して音声日本語を基盤とする「難聴者」とも心理的・文化的な立ち位置が異なります。中途失聴者は日本語の文法や発声法を既に獲得しているため、手話よりも要約筆記や文字表示、口話(相手の唇の動きを読み取る)をコミュニケーションの主軸に置くケースが目立ちます。

【比較表】聴覚障害の区分・呼称・障害者手帳の等級と実態
聴覚に関わる多様なグループの違いを理解するために、法的基準、主なコミュニケーション手段、社会的アイデンティティを整理した比較データを示します。
| 区分・呼称 | 法的基準・聴力レベル(目安) | 主なコミュニケーション手段 | 当事者のアイデンティティと特徴 |
|---|---|---|---|
| ろう者(Deaf) | 重度失聴(両耳100dB以上、手帳2級相当が多い) | 日本手話(JSL)、身振り、筆談、文字チャット | 手話を母語とする「言語的少数者」。ろう文化を共有し、聞こえないことを否定的に捉えない。 |
| ろうあ者(歴史的呼称) | 医学的な聾+言語障害(概念としては手帳2級〜3級) | 手話、口話、身振り | 「話せない人」という差別的含意を避けるため現在は公的文書での使用が縮小。団体名等に残る。 |
| 難聴者(Hard of Hearing) | 軽度〜高度難聴(手帳3級〜6級、手帳非該当の軽度も含む) | 補聴器・人工内耳+音声日本語、要約筆記、文字表示 | 音声日本語が基盤。聞こえの程度に個人差が大きく、周囲から障害が見えにくい困難を抱える。 |
| 中途失聴者 | 音声言語獲得後に失聴(手帳2級〜6級) | 筆談、音声認識アプリ、要約筆記、日本語対応手話 | 思考基盤は音声日本語。突如音を失ったことによる喪失感や、手話習得のハードルに直面しやすい。 |
身体障害者福祉法における聴覚障害の等級は、最も重い2級(両耳の聴力レベルが100dB以上の完全失聴)から、6級(両耳が70dB以上、または一方が90dB以上かつ他方が50dB以上)まで設定されています。なお、日本の法制度上、聴覚障害には「1級」が存在しません。視覚障害や肢体不自由と異なり、聴覚単独では生命維持や身体運動に直結しないという過去の立法基準によるものですが、当事者が直面する社会的障壁の大きさと制度のギャップは長年指摘されています。
【歴史の深層】「聾唖」が現在あまり使われない理由と「全日本ろうあ連盟」の真実
検索エンジンで「聾唖 差別用語 理由」と調べる人が絶えないように、なぜ現在「ろうあ者」という呼称が避けられるようになったのでしょうか。法律で明確に使用が禁じられているわけではありませんが、そこには日本の障害者教育が辿った痛切な歴史と、言葉が孕む認識の歪みが関係しています。
口話教育の強制と「唖」という表現が与えた傷痕
日本のろう学校の歴史において、大きな転換点となったのが1920年代から1930年代にかけて急速に普及した「口話法(こうわほう)」の絶対化です。相手の口元を見て言葉を推測し、自らも声を出す練習を強要する教育方針のもと、当時の教育現場では手話の使用が厳格に禁止されました。手話を使うと手を縛られたり、叱責されたりしたという当事者の体験談は、数多くの自著や手記に記されています。
このような音声主義(オーラリズム)のもとで、「声を出して話せない=話す能力がない=唖(おし・ああ)」という偏見が社会に根付いてしまいました。しかし実態は異なります。ろう者は声帯などの発声器官に異常があるわけではなく、幼少期に音を聞く機会がなかったために音声の模倣が困難だったに過ぎません。彼らは手話という豊かで完全な言語体系を用いて活発に意思疎通を行っており、「話せない(唖)」という表現は実態に反する烙印だったのです。
1997年「ろう文化宣言」がもたらしたパラダイムシフト
「自分たちは話せない人間ではない」という意識が学術的・社会的に明確に打ち出されたのが、1997年に木村晴美氏と市田泰弘氏が雑誌『現代思想』に発表した『ろう文化宣言』でした。この論文において、ろう者は次のように再定義されました。
「ろう者とは、日本手話という、日本語と異なる言語を話す、言語的少数者である」
この宣言を機に、医療従事者が「治療すべき欠損」として捉える「医学モデル」から、手話という独自の言語文化を持つ集団として捉える「文化モデル」へと人々の認識が大きくシフトしました。その結果、発声できないことを前提とする「ろうあ者」という呼称は退潮し、誇りある言語共同体の成員を指す「ろう者」が定着していったのです。
なぜ公益財団法人は「全日本ろうあ連盟」の名称を維持するのか?
ここで多くの人が抱くのが、「ではなぜ国内最大の当事者団体は『全日本ろうあ連盟』という名称のままなのか?」という疑問です。
全日本ろうあ連盟は、終戦直後の1947年に群馬県の伊香保温泉で結成されました。当時の当事者たちは、社会的な無理解と極度の貧困、参政権の制限(当時の民法では聾唖者は準禁治産者とされていた)と闘うために団結しました。連盟関係者の証言や公式記録によると、この名称には「差別と偏見の荒波の中で権利を勝ち取ってきた歴史的な原点と誇りを忘れない」という不屈の意志が込められています。歴史的経緯と法人格の重みを尊重し、団体名としては伝統を継承しつつ、連盟が発信する日常的な広報や政策提言では「ろう者」を標準語として使用しています。

【実態検証】利用者の生の声と現場目線で見えたリアルなコミュニケーション
聴者(耳が聞こえる人)が想像する「手話」と、ろう者が実際に日常で交わしているコミュニケーションには、認識のギャップが存在します。現場のリアルを知る上で押さえるべきポイントは、「手話は世界共通ではない」こと、そして「手話には2つの異なる言語形態がある」という事実です。
「日本手話」と「日本語対応手話」の決定的な違い
多くの聴者が「日本語をそのまま手振りに置き換えたもの」と考えがちですが、それは「日本語対応手話(手指日本語)」と呼ばれるものです。日本語の語順(主語+目的語+述語)に沿って単語を手話単語に置き換えたもので、主に中途失聴者や難聴者が音声日本語の補助として使います。
一方、ろう者が母語とする「日本手話(JSL: Japanese Sign Language)」は、音声日本語とは全く異なる独立した自然言語です。文法体系そのものが日本語と異なり、目的語が先に来る倒置構造や、空間配置、そして何より「NM(非手指標識:眉の動き、視線、頭の傾き、口の形)」が文法的な機能を担います。例えば、眉を上げるだけで疑問文になり、口の開け方で動作のニュアンスが変わります。手だけでなく「顔の表情全体」が言語の一部なのです。
デジタルツールの進化と拭いきれないバリア
2026年現在の現場では、音声認識アプリ(UDトークやPekoeなど)や生成AIによるリアルタイム文字起こしが急速に進化し、企業の会議や行政窓口での筆談負担は大幅に軽減されました。しかし、当事者コミュニティの生の声を聞くと、テクノロジーだけで全てが解決したわけではありません。
SNSや当事者の体験談で頻繁に語られるのが、「複数人の雑談における疎外感」です。音声認識アプリは1対1の明瞭な発話には強いものの、居酒屋などの騒音環境や、複数人が同時に喋る会議ではテキストが崩壊します。また、ろう者にとって日本語のテキストは「第二言語(外国語に近い感覚)」である場合もあり、手話通訳者を介したダイレクトな情報保障が依然として最もストレスのない伝達手段です。
一般に知られていない盲点とネットの誤解
聴覚障害やろう者に関して、インターネット上や一般的な会話で無意識に広まっている誤解がいくつかあります。これらを是正することは、不要なトラブルや無神経な言動を防ぐ第一歩となります。
誤解1:「手話ができれば筆談は不要である」
ろう者全員が同じ流暢さで手話を使えるわけではありません。また、医療現場や契約手続きなど極めて正確性が求められる場面では、手話通訳の手配がつかない場合、簡潔な筆談や図解を用いた視覚的提示が不可欠です。逆に、「手話ができるから漢字の読み書きも完璧に同じように理解できる」と思い込むのも危険です。音声の響きから言葉を推測できないため、専門用語や抽象概念を伝える際は、わかりやすい平易な日本語への言い換え(要約)が喜ばれます。
誤解2:「健聴者」という言葉は使ってよいのか?
耳が聞こえる人を指して「健聴者」と呼ぶ人が多いですが、当事者運動や社会学の世界では「聴者(ちょうしゃ)」という表現が推奨されます。「健全な耳を持つ人=健聴者」という対比を作ってしまうと、暗に「聞こえない人は不健全・異常」というニュアンスを内包してしまうためです。「ろう者 / 聴者」という対等なカテゴリーとして捉えることが、現代的なマナーとなっています。
誤解3:「手話は世界共通言語である」
手話は世界共通ではありません。アメリカの手話(ASL)、イギリスの手話(BSL)、日本の手話(JSL)は文法も語彙も全く異なります。驚くべきことに、イギリスとアメリカは同じ英語圏ですが、手話体系は系統が異なり直接は通じません。国際大会などでは「国際手話(International Sign)」という共通のサインシステムが使われます。

【2026年最新動向】東京デフリンピック後の社会変化と手話言語条例
日本の手話を取り巻く法制化の動きは、近年かつてないスピードで加速しています。特に2025年11月、日本で初めて開催された「第25回夏季デフリンピック競技大会(東京2025デフリンピック)」は、スポーツの枠組みを超えて日本社会に決定的なレガシーをもたらしました。
大会開催を契機に、東京都をはじめとする各自治体では手話通訳オペレーターの遠隔配置や、デジタルサイネージへの手話アバター導入が実用化されました。そして2026年現在、全国の都道府県・基礎自治体における「手話言語条例」の制定率は9割を突破し、手話を「独自の言語」として認める法的土台が地方から国政へと波及しています。
全日本ろうあ連盟が長年求めてきた国レベルでの「手話言語法」の制定に向けた議論も大詰めを迎えており、教育機関での手話教育の導入や、公的機関での情報保障の義務化など、ハード面(設備)だけでなくソフト面(言語権の保障)の整備が進められています。
【プロの結論】「医学モデル」から「文化モデル」へ|共生社会における判断基準
【プロの結論】良好な関係を築ける人・トラブルを招く人の判断基準
ろう者や難聴者と接する際、良好なコミュニケーションを築ける人と、悪気なく相手を傷つけてしまう人には明確な意識の違いがあります。
うまくいく人の特徴:
- 相手を「可哀想な障害者」と見なさず、「異なる母語を持つ異文化圏の人」として対等にリスペクトする。
- 伝わらない時に声を荒らげるのではなく、身振り、スマホのメモ機能、筆談など複数の手段へ柔軟に切り替える。
- 話しかける際に、いきなり後ろから肩を強く叩くのではなく、視界に入って軽く手を振るなど、視覚的マナー(デフ・カルチャーの作法)を理解している。
避けるべき人の特徴:
- 口話ができるろう者に対して「発音がおかしい」「声が不自然」と指摘したり、無理に声を出させようとする(口話教育のトラウマを刺激する行為)。
- 通訳者が同席している際、当事者本人を見ずに「通訳者の目を見て話してしまう」(主役はあくまで当事者本人です)。
- 「少し大きな声を出せば聞こえるはず」と決めつけ、耳元で怒鳴るように話す(感音難聴の場合、音が歪んで不快感や耳鳴りを増大させるだけです)。
聴覚障害者を社会の周縁に押しやるのではなく、視覚的言語を操る豊かな文化の持ち主として包摂すること。不要な同情や腫れ物扱いを排し、合理的配慮を日常の当たり前として提供できるかどうかが、真の共生社会を実現するためのリトマス試験紙となります。
【ろうあ者とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:「ろうあ者」と呼ぶと差別になりますか?日常会話ではどう呼べばいいですか?
A1:差別用語として法律で禁止されているわけではありませんが、「唖(話せない)」という言葉に否定的なニュアンスが含まれるため、不快感を覚える当事者も少なくありません。現在では、手話を使って生活する人に対しては「ろう者」、医学的な聞こえの程度全般を指す場合は「聴覚障害者」と呼ぶのが最も適切で確実な表現です。
Q2:街で手話をしているろう者を見かけたり、道を聞かれたりした時はどう対応すべきですか?
A2:手話が話せなくても全く問題ありません。まずは慌てず、相手の目を見て笑顔で頷き、スマートフォンのメモ画面や紙とペンを取り出して「筆談」で対応する姿勢を示してください。また、指差しや身振り(ジェスチャー)でも多くの日常的な意思疎通は成立します。避けるべきは「聞こえないから」と無視して立ち去ることです。
Q3:聴覚障害の手帳を持っていない「軽度難聴」の人にはどんな配慮が必要ですか?
A3:身体障害者手帳の基準に満たない軽度・中等度難聴の人は、外見から障害が全くわからないため「聞き返しが多いとサボっていると思われる」「大事な連絡を聞き落とす」という特有の孤立感を抱えています。会話の際は「口元を見せながら、少しゆっくり明瞭に話す」「大事な要件は口頭だけでなくメールやチャットで文字に残す」という配慮が劇的に役立ちます。
まとめ:正しい知識から始まる相互理解とインクルーシブな未来
「ろうあ者」という言葉の歴史を紐解くと、そこには医学的な分類だけでなく、教育における葛藤、当事者たちの権利獲得の歩み、そして言語的アイデンティティの確立という深い文脈が存在しています。
2026年を迎えた今、社会は「聞こえない耳をどう治療するか」という狭い視点を脱し、「手話という言語や多様なコミュニケーション手段をどう社会全体で支えるか」というステージに到達しました。呼称の背景にある歴史を正しく理解し、目の前にいる一人ひとりの聞こえ方や文化に寄り添った対応を選択することが、これからの時代を生きる私たち全員に求められています。 (出典: ろうあ 者 と は(Yahoo!ニュース))